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一線を超える人と超えない人

 

今年も関東では桜の時期が終わりました(北関東や山間部は今見ごろ)。

 

私は桜の写真が好きな時もありましたが、実は今更ながら、それほど好きではなくなった。

 

その理由は単純で、肉眼の方がよっぽど多彩な色が見えるのと、誰が撮っても技量なんかは不必要で綺麗に映る。

 

ということで。

 

白系統の光の反射が強いものは殆どそう。

 

桜について、差し引きした答えは、写真なんか撮らずに肉眼で見たらどお?今この時だけ咲いている桜を。。。

 

私は写真を撮るのは比較的好きな方ですが、やっぱり上記の桜の話みたいに、優先順位がマヒしないっていうのは大事なところだと思います。

 

究極的なことですが、週刊誌記者って、私の観点から言って、一線超えちゃっていることが多く思います。

 

仮に人が目の前で殺されそうになっていても、それを止める行動よりも、写真を撮る方に傾いてしまう価値観の天秤。

 

確かに、事件の事実を写真で流布させ、今後このような事が起こらないように、社会の変容へ問題提起をすることも大切です。しかし、大前提として、人の命を差し置いてまで優先的な事はないというのが私の意見です。

 

それがいくら、極悪非道人かも知れない人であっても。

 

これは賛否両論あっていいと思うのですが(むしろ賛否両論あるべきだと思います)、かれこれ12年位前、刑務所から出てすぐの人と親しくしていました。

 

まぁ刑期を満了したら、選挙権だって得られるわけで、まず一般人そのもの。

 

敢えて塀の中での生活については、上っ面くらしか聞いていません。

 

しかし、生い立ちや本人の性格、習性には興味がありました。どういう観点から一線を越えてしまうのか?

 

そして見えてきた答えが、育てられかたの中で得た価値観が多くを占めているということ。

 

この話をすると「いやいや言い訳しちゃダメ、犯罪を犯すのは自己の選択だ。」という意見もよく聞く。

 

ですが、私はそれに「平常心ならね」という文言を付け加えてしまう。

 

当然、犯罪のケースにもよるのですが、私は「罪を憎んで人を憎まず」の言わんとしていることが、上面ではなく、深部の所ではなんとなく理解ができます。

 

「被害者の家族の前でそれと同じことが言えるのか?」という反論もよくあることですが、事件そのものについて「温情を」という話をしているのではないんです。

 

悪いことは悪いし、法で裁かれた責任は果たすべきだと考えます。

 

しかしそれでは根本がまず解決していないから、その根本はどこにあるのかという話。

 

本当に「あれ?」って思う反応をすることがたまにあるんですよね。

 

それつながりで、私は最近、妙な能力に気が付きました。

 

妙というよりも、元から持っていたセンサーだと思うのですが「悪性腫瘍の方の臭いがなんとなく分かる」という能力。

 

それぞれ人によって、厳密には臭いは違うのですが、いわば系統が同じということ。

 

例えば、柑橘系はミカンでもグレープフルーツでも、同じような香り方をしますよね?

 

それと同じなので、コツをつかむと分かりやすい。