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最初に黒を塗る

 

現東京メトロの霞が関駅で、22年前に起こった地下鉄サリン事件。今やその事件の裁判がどの様に経過したのかすら知っている人も少ないなか、人々の関心からも事件が薄れてきているように思う。

 

先日読んだ記事で、当時の首謀者でもあった麻原被告の三女のものがあった。

 

加害者家族の人権についてだった。

 

5歳で既に選ぶすべもなく、学校にも行けずに教団が全ての人生そのもの。

 

そして今彼女は自分の口で、今の心境を世に発信出来るようになった。

 

世間の風当たりは冷たい。当然の事でもあるのだが、私はまるで犯罪者と同等であるかのように扱われるのは違うのではないか?と思った。

 

高校、大学の入学拒否は勿論、就職だってままならない。

 

仕方がないという言葉で片付ける人も多いようだが、そこまでの権利を奪う権限は、少なくとも関係者以外の他人には全くないし、それを許す風潮であったとしたら、血脈至上主義そのもの。いったい何時代の思想なのかと思ってしまう。

 

血や遺伝子が、犯罪者の要素として引き継ぐ事はない。

 

但し、彼女も当時の教団について、軽々しくコメントすべきではないと思うし、公安からマークされるのは当然のこと。

 

記事ではあたかも自発的に教団について話したかのように聞こえるが、おそらく記者の質問の重心を繁栄させたものだと思う。しかし、答え方にもひとつ前置きか、一切のコメントできる立場にないというスタンスを貫き通すことも必要かと思う。

 

何しろ被害者は、法の裁きがあったとしても、大きな傷を癒すまでには足しにもならないものを背負っているわけで。

 

 

先日外国人が酔っ払って、路上で多数の人を殴ったため、警察が3人で取り押さえた後、抑止できているにも係わらずに、膝蹴りを3回喰らわせた映像を見た。

 

これについて、驚くことに、当然のように「自業自得」という意見が結構多い。

 

何か勘違いしているように思うが、現場の警察は逮捕をするまでが仕事であって、個々人の判断で制裁を加える権利は有していない。

 

もとより、事件の根底が明らかになっていない以上、誰が悪いのかすらも全く。

 

これはいつしかのブログで書いたように、ASUKAが自宅で警察に連行されたときに、早くも犯罪者扱いをした世間と同じ仕組み。

 

警察に白黒をつける権限はない。

 

逮捕者へのレッテルは黒であって、その色を塗り替えることは困難。思考停止には塗り替える作業はとてもできない。そもそも実は白の人がいるわけだし、もしかしたら微妙な犯罪も沢山ある。黒一色単に分類してハイおしまいという考え方は、考える事が面倒な人の典型例である。

 

人を批判するのは簡単なのだが、結局それについて、自分がどれだけ考えて意見を持ったのか。

 

こと、犯罪ネタに関しては、世間の色分けが極端過ぎないかと思ってしまう。