
今日はスーパーで女の子が一人で騒いでいた。まぁいわゆるガキだ。
お母さんは「たくわん」選びに真剣で、もはやそれに全集中力を使っている感じ。
暫くすると、お母さんが、ガキ、いや子供を呼んでも来ないので「こっちにキティーちゃんいるよ!」と。
今まで、全く人の話が耳に入っていない様子だったが、この子供があっさりスタスタ「こっち」という曖昧な表現でおとなしく向かってゆく。
お母さんは本当にキティーちゃんの何かを見つけてそういったのか、はたまた実際はどうでも良くて、子供を呼ぶために都合よくキティーちゃんを使ったのか疑問だった。
暫くすると、お菓子の売り場で子供が「ホントだキティーちゃんいる~」と。
ビックリ。
お母さんの記憶力たるや・・・と思って通り過ぎた。
っで、結局どのキティーちゃんの事を言っているのか、いなくなった後、つい子供がいたお菓子の場所に。
何処にもいない。。。
買いつくしたか?と思って、あちこち探していたら、先ほどの親子が再度通過。
そして衝撃的な言葉が!
子供「小いさかったね、後ろに隠れちゃった!」と。
ど、どこの後ろ?
すかざずお母さんが「お行儀よくしていたら、また出てきてくれるよ。」だそうだ。
なんということだ!
完璧な個の世界の話に吊られてしまった!
いや、実はこの能力、とても重要な仕事をしていて、例えば神様を本当に信じている人は、脳の前頭野が反応することが分かっている。
つまりだ、いてもいなくても、視覚をつかさどる部分の脳は、しっかり反応しているのだ。よって、実際に居るか居ないかというバカバカしい議論は、非科学的な領域ということでもある。
そして、視覚野が実際に反応している人は、実際にいるのと同じ反応を体がするのだ。
幸福度が極めて高い。
つまり、キティーちゃんが居ても居なくても、そして、サンリオあたりに居る馬鹿デカイキティーちゃんの頭と体が分離する人間が入った化け物でも、全て脳が反応していればどうでもよろしいということ。
平たくまとめると、ガキの脳は素晴らしいという出来事だった。