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必要以上のサービス

 

近年日本のサービスは相対的に行き過ぎているのではないか?と思います。

 

サービスというのは、与えられた人が、どの部分の深さで受け取るかというのが問題で、例えば「お気遣いありがとう」というものであれば成立します。

 

しかし「当たり前」と受け止める人に対しては、それは成立しませんよね?

 

日本人は特に前者の場合が美徳な精神を共有できる人が多いですが、近年はそうでなくなってきたようにも思えます。

 

こういう変化のきっかけになったのが、現代の利便性に一旦があるように思えてなりません。

 

例えば、インターネット社会になるまでは、お店が臨時休業を行っていても、知るすべは極限られていました。

 

ですから、労力をかけてお店に行き、お店の入口に「臨時休業」と書いてあっても、諦める他なかったわけです。

 

多少の遠出なら、まず電話をして、確実に人と人との声で確認をしあったもの。

 

ですが、現代はインターネットで検索をすれば、いつでも休業を知ることができる。

 

私が高校生の時に、当時お付き合いしていた彼女と待ち合わせをし、結局お互いの確認ミスで、私が3時間待って仕方なく帰宅した事がありました。

 

今度からそういう間違えをしないように、どの様に確認をしたら間違えが起こらないのか、帰路に就く最中も含め、ず~っと知恵を働かせて考えたものでした。

 

 

例えば、お店が〇月〇日に臨時休業するとします。

 

そのお休みを周知させるのに、100枚のポスターを貼り付け、100人の人が休みを知らずにお店にいらしてしまったとして、これはお店側に問題はあるのかどうか。

 

それを反省として踏まえ、今度はインターネットでも周知をさせるべく、WEBに費用をかけて周知させます。

 

すると前回の100人を多少下回って、60人が休みを知らずにお店にいらしました。

 

再びその問題点を改善すべく、今度は地方キー局のCM枠を活用して、テレビやラジオで臨時休業を周知させました。

 

すると前回、および前々回を大幅に下回り、20人がお休みを知らずにお店にいらしました。

 

っで、最終的に、ゼロ人にする事は可能なのでしょうか?

 

特に客層を選ぶことをしないお店は限りなくゼロにするのは不可能に近い。

 

しかし、百貨店の外商しか利用しないという人はゼロにするのはとっても簡単なことです。

 

私だったら、近くのコンビニが休業していたら驚きますけど、もしも目的の店に行って休業していたら、お店の周知方法ではなくて、自分が調べなかったことを悔います。

 

しかし、周知をくまなく自動的に降って来るようにしてくれるのは、至極当たり前のことだと思っている客はそうは行きません。

 

観点を変えて見てみると、周知をさせるのに何度も、そして多種に渡って行った方が、むしろ逆に「どうしてもっと周知してくれない」と客から言われるようになると思います。

 

 

結局、当たり前のハードルを下げてしまっているのも「お店側にある」という考えも必要です。

 

 

月に10日ランダムで休むお店なら、最初から客は予め来店前に調べることに尽力されるでしょう。

 

どこのお店でも、「年中必ず欠かさず毎週●曜日しか休まない」と表記しているお店の方が少ないのに、客は何故当たり前の基準にしているのか?

 

これの行き過ぎた世界って、つまりは客からのサービス評価を気にするお店ばかりになるだけで、客の多くは思考停止を招くと思うのですが・・・。

 

私は単純で、一番上に貼り付けたアンケート結果には「だったら1人2万円位出せば良いのに」と思うんです。

 

まさか1食5000円未満のお店で評価しているわけではないですよね?

 

それだったら一体何様?