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先人の功績

 

これは、大正9年に書かれた手技療法(オステオパシー)の文献です。

 

脊柱、筋肉、内臓、頭蓋、脈管系を解放し、自然治癒に至らしめる手技。

 

 

久しぶりにしまい込んでいた本を発見。本当に読みずらい文字ですが、現代と違って、自分の得た感覚や、こういう患者にはこうしたら治りがいいなど、正直に自分の感覚的な考察が書かれているのが興味深い。

 

今は、教科書一辺倒で、何も中身のない事しか教えないからね。

 

当時の情報量でよくぞここまで理解していたものだ。というか、今は意図的に情報量を多くして、真理を隠す時代のようです。流行りになればなるほど本筋が探せなくなるという習性。

 

 

手技療法は、古代ギリシャから、医者が脈々と受け継いできたもの。いわば医術の伝承。

 

科学と共に感覚の世界は受け継がれなくなってしまった。

 

医者の神様でもあるヒポクラテスの眼には、現代の医学がどのように映るだろうか。

 

医学が捨てた感覚の領域。

 

そして時より「ラッセント(医学誌)」で発表されている内容が、こういった文献内で、感覚的に「先人が書いてるのに」っていう事があるわけ。それまでは非医学的と蔑視して、いざ医学界で解明されると「我々が見つけた」という。

 

ま、好きにすればいいんだけど、嘘か本当かの二元論の考え方、そろそろやめたら?って思うことがよくよくあるんですよね。

 

いや、分かりますよ、難関の受験を突破して、将来使うか使わないか分からない知識を沢山大学で頭に叩き込んで、更に国家試験に合格しているのですからそれは凄いことです。

 

ですが、例えば「体から発する匂い」だけで病気を当ててしまう人がいて、それを正直に書いいた文献があったとし、それを「医師は霊能者じゃない」とシャットアウトした瞬間に、頭がいい人ではないと思ってしまうんですよね。

 

分からない時点で、ありとあらゆる可能性を排除しない。

 

これ、診断でも裁判でも基本中の基本だと思うのですが。

 

白でも黒でもないものに色を付けたくなる。これこそが群れの習性というものです。