

Iphoneアプリの時計がおかしくなる件について、以前は結構頻発していましたが、ここのところアップデートをしたせいか遅刻はしません。
ただ、今度は何やら勝手に再起動を繰り返す症状が報告され、またアップデート?
これが仕事での事になると、結構症状は深刻ですよね。
電話がつながらないで、獲得できた仕事が他社に依頼されてしまうことも稀にあるかも知れません。
デジタルの世界って本当に難しい。
人間って基本エラーがある生物ですので、最初から間違いがないように、確認作業であったり、それなりの想定の範囲があったりしますよね?
しかし機械は実際にエラーを起こしてみないと修正ができない。
人間も確かに失敗から学ぶ部分はありますが、例えば遅刻一つとっても、様々なシチュエーションがありますから、人間はケースに限らず応用することが可能です。
しかし機械の場合は、ケースごとの対応が必要。
最近は人工知能が察する能力を身に着けてきていますが、それとて過去に無いことを察する事には限界があります。
例えば近年飛躍的にAIが進出している分野で、株や為替のトレードがあります。
とてつもなく速いスピードで取引を行いますので、人間では全くかないません。
しかし、ひとたび過去に無い相場の動きをすると、AIは皆同じようなプログラミングをされていますので、一気に暴落を起こしてしまったり、また逆に暴落を読み取れず、明らかな下落なのに買い込んでしまったりするものです。
それと、先日ネットの記事を読んでいたら、「赤ちゃんが泣いてもいいですよ」というステッカーを、施設の入口に貼って掲示するというアイデアが書かれていました。
既に反響があるとのことですが、これについては個人的に好感は持てません。
泣くことの善悪論ではなくて、住み分けの部分。
「いいですよ」としたら、一方で「だめですよ」というのも平等に認めなくてはならないからです。
例えば、新幹線のグリーン席やグランクラス、飛行機のビジネス、ファーストクラスなんかも、快適空間をそれ相応のお金を支払って買っているわけです。すると、そういうところは例外なく「だめです」と表記できることも認めなくてはなりません。
線引きをしたときから権利を主張しあい、平等性に過剰反応し、いわゆる差別社会が形成される。色分けするということはそういう事。
結局どちらも不自由になる結末だと思いませんか?
私は不自由でドンドン息苦しくなる世の中の将来には好感は持てませんのでね。
AIのトレーディングしかり、やはり人間の得意とする能力は「察する」という部分だと思います。
雰囲気を察することで、お互いの自由性を尊重することができる。
まさに Case by case です。
私は仮に誰も乗っていないグランクラス車両だったとしたら、赤ちゃんが乗っていてもいいと思うんですよね~。
田舎の特急グリーン席なんて、一人二人しか居ないのはザラです。
私が車掌であったなら、逆に指定席で泣いている子ずれの親子がいたら、誰もいないグリーン席に無料で避難させる事くらいの裁量は持たせてほしいですけどね。それが意図的か意図的じゃないかは、自分に与えられた裁量内で判断する。
ルールで区切ってしまったら、不条理なことでも例外なく統一でダメになるのは避けられません。
規則を破るということは、同時に責任が発生するということですからね。
人間にはAIにはない自由性や寛容性がある。態々人間が機械的な思考になる社会を目指さなくてもいいんじゃないの?
え~っと、また違う話になってしまったかな・・・・。