
幸せになるという事を、何か一方的に軽い言葉で使われる方が多いように思います。
ある人にとっての幸せは、「結婚=幸せ」という価値観の人もいれば、またある人は食べたいものが不自由なく食べられることや、欲しいものが好きなだけ買えるお金があることという人も。
しかし、個人単体だけの幸せって、元来起こりえるのでしょうか?
だって、結婚する相手が居なくてはそもそも幸せになんてなれないわけですし、食べ物を作る料理人や野菜を作る農家は元より、命を分けてくれる野菜そのものや、大地のエネルギーや宇宙からの働きが無ければ好きな食べ物だって存在はしませんよね?
そしてお金だって、価値そのものは自分以外の人が居るからこそお金と何かを交換ができるわけです。
よって、幸せの対象が自分であるということは、極めて浅はかな考え方だと言えます。
それら元来自分に与えてくれている「全体の幸せ」そのものが、結果的な自分の幸せ。
そういう視野を持つためには、まず心の豊かさを感じる事が大切だと思います。
何に豊さを感じて生きるかは人それぞれ。
私の場合を考えてみると、誰かが誰かの事を気遣っている様子や、それが人でなくても動物や植物、更にはモノにも気遣える瞬間を垣間見たときが、なんとも微笑ましく感じる時です。
私なんて小学生の時は、守護霊なるものが何故か背中にくっついてると勝手に思い込んでいたことがありました。
だから、扉を開けて閉めての動作が本当に長かった。
その意味がわかりますか?
そう、扉で自分を守ってくださっている偉い守護霊様を挟んでしまったり、もしくは扉の向こう側に置き去りにしてしまったらマズイと考えていたんです。
だったら寝る時はどうなんだ?というご質問には耐えられない理屈でしたね。
話は戻り、幸せの全体性というのは豊かさの上に成り立っているはずです。
「お日様」「お月様」なんて素晴らしい呼び方だと思います。
神道の影響も強いと思われますが、日本は特に自然を神とする概念を持ち合わせている分、モノに対する敬愛心は強いと思います。
今一度、自分が幸せになれていないとか、最近思い通りに事が運ばないとか、そう感じているようでしたら、まず全体性の視野を持つ訓練の為に、自分以外のモノから気遣ってみてはいかがでしょうか?
どこから不幸せが始まるか、それは自分に有利に事が運ぶようになんて考え始めた時からでしょうね?
幸せも豊かさも、自分というのはそこに必要はない。周りの結果から形作られるものですから。
勝手にこちらから幸せのリクエストをしておいて、来ない来ないと悩み、わざわざ不幸せになっている人がどれ程多い事か。