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患うことはありません

 

言葉はとても大切なものだと思います。

 

特にいらしている方には、機会があればお伝えするようにしているのですが、自分の発した言葉通りの人になるということ。

 

つまり、腰が痛いとか、肩が痛いとか、まぁ生きていれば神経機能は活発なものですから、ある意味感じれないよりは素晴らしいこと。

 

症状は色々ありますけど、しかし言葉までその様になってしまったら、確実にそれは「患(わずら)っている」ということになってしまいますよね?

 

ウソでも良いんです、患う必要はありません。

 

何しろいずれ死ぬのですから。。。

 

こういう事を言うから嫌われるのですが、生物は誰でも平等に生まれて死ぬ物。

 

当然皆さんも生まれたのだから結局は死ぬわけです。

 

だからこそ、死ぬまでの出来事は楽しむ。

 

生まれたら祝福する。死んだら・・・それも祝福でいいのでは?と思う事もしばしばあります。異国の文化であればそういうところもありますね。

 

そして、痛い事もどうやったらコレを楽しむ事ができるか工夫をする。

 

だって、どんなに頑張っても痛い事実に変わりはないでしょ?

 

まぁ精々科学的に痛みを感じる発痛物質をブロックするような薬はありますけども、私はせっかくだからできるだけ痛みは感じるようにしたい派なんですよね(病気を我慢するという意味ではありません)。

 

その痛みの情報を一旦自らで受け止めて、その後、精神でこの痛みの刺激をどの様に解釈変換するかは自分の自由なのです。

 

夢や戯言でも十分。

 

せっかく精神は自由なのですから、どの様に考えるのかは自分次第。

 

痛い。分かった、ならばどうするか。

 

対局の例えかも知れませんが、戦国時代の武士ならば、戦で槍、刀で刺され切られて矢が刺さっても、「痛い!怪我をした!」と言って戦の最中に入院することはありません。戦で死ねる者は戦人として名誉なこと。戦での傷は自らの誇り。

 

どう信じるかは憲法、法律、政令、法令、条令、医療、科学に束縛される筋合いはありません。

 

筋(スジ)を通して生きるのは、人に対してではなく、自分の精神に対してなのですから。

 

いや、別にいいんですよ?医学的に患われても。

 

しかし私だったら勝手に「患う」とされたくないですね。医学がどの様に言っても。

 

患って死ぬのではなく、生きているから死ぬだけのこと。

 

勝手に色分けしないで欲しいものです。患者だなんて。