
会話から察する雰囲気っていろいろありますよね?例えばこんな最悪な出来事があったとか、ビックリする程ラッキーなことがあったとか。
いずれにしても、報告したい人には感情を伴ってしっかり伝えるものです。
一方で、特に話したくもない人が来ても、いたってホンネとはまた違った言葉で話すもの。
自然にでるものと出ないものの差は大きいと思います。
そしてそれを無理やり引き出して記事にしたいマスコミ側は本当に情けない。
それは凶悪事件の被害者家族であろと、オリンピックメダリストであろうと聞くことはいつも同じ。
「今のお気持ちどうですか」
と。
私なら「言っている意味が分かりません」としか言わないと思います。
逆にこの質問に対して印象的な餌を蒔ける人がマスコミ受けをする人。
まぁ記事の面積も大きいですしね。
エンタメやスポーツの世界はそれで良いとして、社会問題や政治に関してそれを聞いている勘違い記者ってのも多くいます。
これは報道の存在意義、定義にもあるように、事実を主観的にではなく、客観的に報じることから逸脱していると思います。
ウラを取らなくても、第一報で社会に報じられるのは、報道の自由というものがあるからです。
ニュース速報に精度を求めたら、出せなくなりますからね。
ただ、これを主観的に利用してはならないと思います。
そもそも「お気持ち」で世の中の問題を語られては、独裁を悲願しているようなもの。
とくに私人ならともかく、公人に対してお気持ちを伺ったところで何か意味があるわけ?
そして都合の良い時には「忖度だ」と騒ぐ。
お気持ち重視ならば忖度は当たり前じゃないですか。
お気持ちとは違って、どの人にも関係なく平等公平であるからこそ公人なわけで。