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考えが古いのか

 

私が20代だった頃、色々な技術が上手くなりたくて、あちらで凄いとされる人がいれば近寄ってみて、またあちらで右に出るものは居ないという人がいれば、どんな都合もキャンセルしてそっちに行ったものだった。

 

中には、鞄を持つのは当たり前。右手を出せばおしぼりを渡さなくては激怒される先生から、お酌のタイミングが悪いだけで小一時間も雨あられのように「だからオマエはダメなんだ!」という説教をされて、溜息をついて帰宅した時もあった。

 

「馬鹿」「アホ」なんて言葉は挨拶みたいなもの。

 

叩かれ、蹴られ、土下座までさせられたこともある。

 

だけどそれでも知りたかったから、当時はくらいついて一歩も引かなかった。

 

何て健気だ。今じゃそんな素直な気持ちなんて微塵もない。

 

それどころか、「あれは司法が介入するレベルだな」と笑える過去。

 

でも時代は変り、今度は真逆にインターネットで調べれば、いつでも手軽に誰でも色々なやり方が手に入る。

 

便利な世の中だ。

 

一瞬で沢山の情報が知れる。

 

が、しかし、それに見合ってレベルが向上しているわけでもない。

 

むしろ本質的な部分に気が付く間もなく、次のことに興味を持って移動してしまう人が多い分、出来ているわけでもないのに知っている人が多くなった。

 

決して悩み苦しむことを美化するわけではないが、寝ても覚めてもトイレでもお風呂でも、念仏のように「あれはどうやってやっているのかな~」という癖が出来上がっていた。お陰でどんな場面でもそのテクニックとの関連性で語れるくらいになっていた。

 

コケのように扱われていた時に、唯一覚えているのは「目から口から鼻から皮膚から毛穴からも上達のヒントを探れ。それが専門家というものだ。」と。

 

その割には何も教えてはくれなかったし、当時はそれを見せて貰えることなんて、ノーカットのエロビデオを見るよりも貴重なことだった。

 

結局楽して真髄に触れることはなく、1から何個の事を学べるかという経験値でしかなかった。

 

そんなことを繰り返していたら、いつの間にか東京に来ていた。

 

本当に今となってはその動機がよく分からない。気が付けばこんなところに。

 

 

そして今の時代は、様々な分野で最初から手法を教えなくては不親切な世の中に。

 

インターネット社会の利点か欠点か、サラッと本筋を紹介されても、結局受け入れる体制が無い者に受け取れるわけもなく、また悩んでいるレベルに見合ったものしか心に響かないというのが現状。

 

手軽がいいのか悪いのか、正直私にもよくわからないところ。

 

手足を持ってロボットのように動かし、1から10までやっても1も身につかない。

 

やっぱり最後は自分の意識でしかないんだろうなと。

 

そして形にこだわるようになったのも昨今の特徴。

 

どれも形なんてまやかしで、ぶっちゃけどうでもいいんだけどな。

 

そこには人の思いがあるのか?

 

その思いにどれだけのエネルギーを注ぐことができるのか。

 

そしてそのエネルギーの対象が形ではなく人に対してであるのか。

 

 

これらの総和が最後に形となって出来上がる。

 

だけど外からは形しか結局見えないんだよね。

 

雲は傍から見ればフワフワと柔らかそうだけど、実際にはすり抜けてしまうじゃないですか。

 

 体の歪みも雲と同じ。

 

骨格が歪んでいるんじゃないんだよね。