
なんだかいつの間にか新緑ですね。
ホントに季節の移り変わりの速度が早くて。。
先日はいつものかたと病気についての話になりました。
人は何故「病に侵される」というのか?と。
私の職業ガラ、日々体の調子の悪い方々を間近にしています。
そういった人が、どれだけ努力をしても変えられなかった習性を、病になることにより、趣味や生活習慣、思想までが一気に方向転換してしまう。
つまり、病を起点に大変革を起こすわけです。
これって「悪いように変わる」という事ではないですからね。
であれば、日本で古くから使われている「病を得る」でいいのでは?という話をしていたんです。
侵されてしまったら、あの時の不摂生のせいだし、明日からの生活も大変だし、要するに過去も今も未来も悲観フィルターが発動してしまいます。
しかし得てしまえば、あの時の不摂生は楽しかったし、今後も逆手に取ってどの様に楽しめるか創意工夫する。こちらは過去も今も未来も幸せフィルターとして展望を見出せる。
そもそも皆、産まれた経験はあるにせよ、死んだ経験なんて現肉体ではないわけですから、そこまで根強く、そして決めつけるように「生は善で死は悪」と固めることもないと思います。
どちらも平等にあるもの。
私の場合、生まれた時には「こりゃ大変だ」ですし、死ぬときは「貴方らしくあの世でも楽しくお元気で!」です。
国が違えば死んだらパティーですから。
産まれるのは大変。
殆どのトラウマは出産時から繋がっていますから、つまりは生まれる時にはひどい目に合っているわけです。
親からの暴力が子に引き継ぎ、そして連鎖するなんていいますが「いつから?」というのが、暗黙の了解で「幼少期」とされていることに違和感を覚えてしまいます。
産まれる前から、脳は記憶装置として活発に働いていますからね。
トラウマ研究では、出産時や母胎内にいる時の記憶を掘り起こし、それの絵を書いて貰う。驚くことに、その多くのかたが地獄絵のようなものを書くとされています。
生まれるのは苦しかろうに・・・・南無阿弥陀仏。。。
私なんて、大人になっても誕生日に救急車で運ばれるくらいですからね。誕生日=苦痛記念日です。
あ、そうか、回りまわってこういうときこそ「誕生日おめでとう」でいいか!!
ホント生きるのは大変。
無数の命を喰らって肉体を維持しなければならないし。
もはや妖怪そのもの。それが人間。