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仕組み

人の心というのは不思議なもので、外部の知覚から得た情報を総合し、相手を知り、そしてそれが「心」の中で化学反応を起こす。

 

いわば視覚、聴覚、嗅覚、触覚で感じる総合反応。

 

それが心だ。

 

正確に言うと、物体の中身を自分の脳の中で、それぞれの知覚という通訳機を通じて「心」を感じ、そして愛す。

 

であるから、心の主体は自分の感じた分量そのものであって、愛する相手は黒柳徹子の飼っている「AIBO」であろうが、遠く離れた外国人であろうが、見た事も触ったこともない地球外生命体であろうが、脳の中にしか見えない神であっても心の主体は自由である。

 

ようするに、愛する主体に垣根はない。

 

その代わり、副産物として「勝手な感じ方をしてしまう」というのも人間の性分。

 

だからこそ「あれだけ(勝手な想像で)熱を持って愛したものの、いざ結婚して毎日顔を合わせていると、さてこの人の何を愛していたのか?」という現象に陥る。

 

あの時に視覚で見ていた下っ腹も出ていないスマートな肉体は?あの時に聞いた頼りがいのありそうな言葉は?

 

心の対象とのギャップを感じ始める。

 

しかし、先に書いたように、感じ方はいつでも自由なのだ。

 

自分の変換装置は必ずしも固定型ではない。むしろ色々な人と接している内に、可変的であることに気が付くはずだ。

 

結局自分もあの時とは違うわけだし。

 

ただ「心」は時間軸に束縛される筋合いはない。

 

過去がそうだったというだけでも、愛すに十分足りると感じる自由もある。

 

死んでも尚その人を愛し続けることが出来るのは、そもそも心や愛に実体が伴う必要がない、または時間が存在しない証明だ。

 

 形のないものを大事に思い、輝かしく思うのは心にしか出来ない芸当だ。

 

 

であるから、誰も人の心(感じ方や愛し方)を束縛することはできない。

 

それは憲法であっても神様であっても。