
ようやく晴れ間が出ました。
よりによって帰りの日に。
ということで、この晴れ間は勿体ない。
長野の戸隠神社に行ってきました。



実はこの神社の奥にある戸隠山は、2年前に登ろうと検討していた山です。
確かに登山の恰好の人がちらほらと。
ん~急遽だったので、革靴の自分が歯がゆい。。。。


っで、今回はなんで戸隠に行ったのかというと、水芭蕉が丁度見頃だとのこと。
時間に制約があるものの、早歩きで行って来ました。





最後の写真、実は結構好きなんです。
写真の技術的な方ではなくて、水芭蕉の形。
途中から腹筋をするように起き上がっているじゃないですか。
斜めに生えてしまったがために起こった適応の能力。
普通に見てしまっては勿体ない。この力について熟考した事はありますか?
生命力そのものと表現することができますが、このうちに秘めた力こそが、我々人間を含む生命体の「生⇔死」の「生」の綱引力になるわけです。
言い換えれば、この曲がって上を向くことができない植物は生命力が少ない。
よって、生命力とは環境適応能力を含む、自己を最善の状態へ導き、それを維持する働きを言います。
体の不調がある人にとっては、そこから「元に戻る」という視点に立っていますから、「自然治癒力」という呼び方が好きなようです。
現代社会では、医学が進んで根本の働きに着目されることはなくなりましたが、長時間軸ではこの生命力が活性化しているかどうかというのは重要な健康維持の要素です。
っで、この生命力の一部をカンタンに感じることが誰でもできます。
それは心地が良い動きをしたとき。
心地が良いというのは、身体と精神が伴っていなければ起こらない現象です。
訓練すれば、指一本一本でも、それをどの様に動かせば心地よいのかを感じることが出来るようになります。
一定のレベル以上の舞踊やバレリーナ、ダンサーなんかは、ここでいう心地よさのリンクということよりも、感情と体の動きが常に伴って、観るものに感動を与えてくれます。
最初の導入は、あくびをした時の動きの心地よさを手掛かりにしてみると良いでしょう。
その心地よさを全身に波及させてゆくと、体が自分の意志で考えなくても勝手に動くようになります。
自動的に働く適応能力、自己を最善の状態にする力の一部です。
これを明治時代に熱心に調べられておられた方がいたようです。
ちょっと読みにくい「レ点」文章なんですが、私の読解力ではなかなか。
勝手に動くという事から、これを「霊による力」もしくは「狐の仕業」としていたようです。
ま、なんでもいいんですけど、この心地よさを心身で共有できると、先に書いた「生命力=環境適応能力=自然治癒力」が活性化します。
だから、会話でも体が整うと私は述べているわけです。
これも仮説から繰り返してみたら、やっぱり120%精神と肉体は同一性を持っているという結論にたどり着く。
結構大事なことを、無料でだだ漏れに書いていると思うんだけどな?
やり方や考え方を教えてもらったり盗んだりする事に重きを置いている人が多いようですから、欲しけりゃ好きなだけどうぞ。もっと沢山持っています。
が、しかし、そこから先の鍛錬には、それなりの覚悟を持って挑まなければ、何事も形になりませんけどね。
私もそうやって毎日頑張っておりますよ。
日本舞踊が一年やそこらでマスターできるというのなら、そういうレベルでつまみ食い方式でも良いのでしょうが。
っで、質問です。
整体と踊りとカウンセラー、どこで線が引けるんですかねぇ。
私の永遠の疑問その1です。