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選別できる能力

 

今日で4日目。

 

話していることが20分以内に起こります。

 

おかしなことだと思われるかたは、きっと私はおかしな人なんでしょう。

 

それもごもっとも。

 

正しい。

 

 

さて、先日の書籍の他に、勝手に体が動き始めるという現象について研究された、明治43年の本がありました。

 

私が注目しているのは、当時は現代のように科学が発展していませんでしたから、それぞれが個別に専門性を持って考えていなかった。

 

つまり、催眠術師や霊媒師、心理療法、医師や針灸あんまマッサージ、柔道整復師に整体師も明確な境界を持つ必要性がなかった。

 

これって私の思想では理想的なんですよね。

 

きっと書かれた内容からすれば、霊術というよりは催眠的要素によって、自発的、自動的な運動を発動させていた様子。

 

アップした画像のページだけでも、ワクワクしてしまいますね。

 

 

だって、人の体を治すために、多くのページを割いて、人間の精神性質を述べているのですから。

 

療術を行うにあたって、人の体を回復させるために、物体を観察するのではなく、既に精神性をも兼ねて考えられていた。

 

これって、生気論と機械論の両立ですよね?

 

 

 

現代の問題点は3つ

 

・態々分野を分けた事によって、社会的地位と職域を色分けし、重要な全体性を損なってしまった。

 

・分野を区切った結果、それぞれがレッテルで貼られ、例えば霊や催眠という単語に偏見や意図しない色眼鏡をかけさせられた。追求して勉強してから批判するならまだマシだが、何も知らないわりには、勝手に世間の印象で良し悪しを判断するようになった(霊=胡散臭いからその言い分の「全て」が嘘など)。

 

・法や規制が厳しく整備されたため、ピンからキリまであるべき手法のピンとキリが法に抵触することから抹殺される世の中になった。

 

 

っで、昔は法整備がそれほど隅々まで行われていなかったから、感じたまま研究し、文字にして書き、被験者側も科学を知らないからこそ素直に受け入れる事ができた。

 

結果、精神誘導には自ずと掛かりやすい習性があったと察する。

 

以上の点から、私は自分の選別によって、ためになる情報なのかどうかを判断することは必要だが、昔の書籍は今よりも有益な内容が書かれていたのではないか?という結論に至った。

 

要するに、書いてはいけない本質が書かれているということ。

 

 

「言論の自由」なんて、今の日本にはないですからね?

 

例えば、「リウマチを精神誘導と整体と催眠と、自己暗示を利用して完治させることが出来る。その手法は次の通りだ。」なんて書いた本は出版すらできない。

 

現行法では、医師以外が病気に関して治療を行う事はできないからだ。

 

これは「医師法違反」になり、また、それに何か道具を用いたとしたら、重ねて「薬事法違反」だ。

 

出版前に間違いなく校正または削除されてしまう。

 

とくに今のインターネット社会ともなれば、そんな違法な事が書かれている書籍なんてあったら、あっという間に指摘されて回収されるだろう。

 

これの何が自由なのか?

 

むしろ現代社会というものは、「便利さと引き換えに不自由さを獲得している」としか私には思えない。

 

我々は普段、法というフィルターで削ぎ取られた、表現の不自由本を読まされていることに気が付くべきだ。

 

 

私だったらエロビデオはモザイク無しで見たいものだが(今はビデオとは言わないようだ)。

 

いや、こう言い換えればいいのかな?芸術的な裸体の映像にモザイクを施すなと。

 

ねぇ、あれって何でダメなの?竿が2本あるとかなら「それは驚かれるから隠した方がいい!」と思うかもしれないけど・・・。

 

これもいまだに良くわかりません。。。。