

明治45年の本からです。約800項にも及ぶ素晴らしい真剣本。これは確か私が学生の時にご飯を抜き、コインランドリー代をお風呂場で手洗いに変えて貯めたお金で買った本です。
今思い出しても「やるじゃん自分、あれだけ生活大変だったのに!」と20歳代の時の自分を自画自賛してしまいます。
「これで何人の人を助けることができるか」という、今では退化した懸命な自分を思い出します。
っで、この本の時代でも既に、奇怪な現象を扱うことから、世間や医師から批判を浴びていたことが記されています。
精神支配が出来た人は、支配者の指示に絶対服従です。
仮に大っ嫌いなニンジンであっても、すぐさま大好きなウナギに変えることができるし、下手くそなピアニストがあっという間にフランツ・リストと化して、一人だけブラボー!と演奏後に歓声をあげる。
特別なことではありません。
これだけ科学が進んでいても、いまだに人間は精神が体を支配し、そこのフィルターを通じて感じていることに気が付いていません。
非科学的だというただ一つの滑稽な理由だけで。
興味深いのは、本の中で「治療記録」として内容を公開していること。
治療として精神コントロールを行っていたことと、当時の治療内容が現代のような、隠して醜い権力誇示などせずに、赤裸々に明かされていることです。
多いんですよね~現代人では、大事な所は教えませんという貧乏精神に支配されている人。
私、お金持ちではありませんから、貧乏だと言われるのは一向にかまいません。しかし、精神だけは貧乏にはなりたくない人ですので。
そこが貧乏な人は、どう頑張って見ても美しく感じない性分ですから。
蛇足ですが、この間ブログでも書いたように、現代ではこれを治療と言っては医師法違反ですし、これで何かが治るといってもダメな国家で法による取締の対象になってしまうことは記しておきます。
一枚目の写真を見て頂いてもお分かりのように、約2名以外はとても真面目な顔。
それもそのはず、研究舎という形でこれを研究していたようなんです。
便宜上、催眠として書かれていますが、内容からして一般的に思われているような催眠とは違う部分も多いと思います。
ま、我々整体も同じように、商業ベース基準で形成されていますからね。分野を区切ったところから。
どこの分野でも同じく、真相は全て闇にしまわれて、一部の人にしか見えないようになっています。
巧妙に細工がされている。その細工の道具になっているのがインターネット。Googleなんかで調べて、いったい何の本質が見つかるというのか。
話は変わって、そろそろ梅雨の季節に突入ですね。
個人的に日本の四季は好きです。ただ、夏の途中に涼しい所へ中休み、冬の寒い時期には温かい所へ避難できる環境は常に欲しいものですが。
さて、この時期に、もうはや秋の話ですが、私の好きな歌の1つ、「Autumn Leaves」を貼り付けました。
というのは、先日のエヴァ・キャシディの歌にある Autumn Leaves が、歌というよりか「話し掛ける」という印象を受けて、JAZZの醍醐味でもある主観的曲作りの面白さを再確認させて頂いた所だったから。
いずれも同じ曲です。
解釈や時代によって、色使いがまるで違うものになっています。
ちなみに、軽井沢の秋の季節にこの曲をかけて森を眺めるのは至福の時です。