
今日は昼過ぎくらいから雷が凄かった。
最初は上空にジェット機が飛んでいるのかと思いましたが、目視で確認できるくらい近くに黒い雲が接近していました。
近年は、スーパーコンピューターの進化で、天気予報の詳細予測ができるようになりました。しかし、精度が高くなった分、外れた時の不満感の方が大きなものになってきます。
確かに、仕事で天候が重要な方々も多くおられることでしょう。だからこそ、最後はアナログ的な能力が大事だと思うんですよね。
昔は、雲の流れや、肌に感じる湿度、風、匂いなどで察する、いわばアナログ的な能力がありました。というよりも、予測できないと自分が困ったから、必要だから身に付けた。
それを兼ね備えた人が、便利なデジタル予測と合算して、自己判断を行うのなら問題はありません。
しかし、アナログ的な能力が身についていない人が、デジタルに頼り切ってしまうと、時に外れた予報が致命的なことになりかねません。
今日も、雷が接近してきているなか、表参道駅の出口付近で「まだ来ないでしょ」と言っている若い女性がいましたが、私には「既にいつ落雷してもおかしくないところまで来ているけどね」と思っていました。
ま、都心の欠点でもありますが、ビルで雲の全容が見えにくい。
登山では、雷は超危険なもので、はげ山や森林限界を越えたところだと、自分が避雷針になってしまいますからね。逃げるところがありません。
遠くで落ちたのに、雨で通電してしまうので、足からビリビリ伝わってくるものです。
しかも、スマホの通信は出来ない所が多い。
基本、雷が聞こえたらすぐに安全確保が原則です。
今に、予測技術が更に進化して、スマホで見て晴れになっているからという理由で、目の前の雨雲すら見ないという人種が増えそうな気がします。
私はその点アナログの方が好きなので、「雨よ降れ~」「晴れろ~」とお祈りする方が好きですけどね。
テルテル坊主の方が、自然相手には幸福度は高くないですか?
長野県北部にある雨飾山を思い出します。
農作物には雨が必要ですから、山頂に祭壇を建てて、雨が降るようにお祈りするんですよね。
なんか、デジタル社会で失ってはならない、とっても大切な部分のような気がしてなりません。