
さて、今日「も」嫌われますかね?
1945年(昭和20年)8月15日水曜日。終戦記念日が近づいてきました。
マスコミの各社記事では、毎年のことながら、当時の新たな情報や体験談を多く取り上げるようになります。
中でも毎年目にする記事が、戦争経験者が減ってきて、戦争や原爆の恐ろしさについて風化してきたという意見のもの。
そして、だから平和への意識が後退しているのではないかと。
私はちょっと違うかな?と思うんです。
現代社会とはどうやっても比較ができない部分もあり、そもそも「分かりなさい」という方が無理な話。
「こんなに酷い事をされましたよ」という事は経験者か、又はそういった方々と直接生活した人にしか、正直、伝わる力も違うと思います。
ただ一つ、共にあるのは、戦没者への哀悼の念。
むしろ、風化を恐れて、個々の感情を色付けしてしまった方が罪ではないかなと思う記事もありますね。
それは違うんじゃないかな?
風化とは、岩の表面が風で徐々に崩れたり、削れたりする自然の力。
岩の上から個々の主観で保存塗料を塗りつけて、これを防ごうとするのは不自然な浸食そのものであって、絵画で言えば、色あせてきたから、感情的な主観で色を決めつけて、元とは違う色を塗ってしまうのと同じことだと思います。
原爆で大量殺戮を行った方は確かに非道極まりない。
だけど同時に、日本だけが美化されるものでもないわけで。
戦争なんて、始めた時から綺麗も汚いもない。
だから私は終戦記念日は、我が国の戦没者慰霊としてという意味合いだけではなくて、尚更当時の世界全体の人々に、哀悼の念を抱く必要がなるのではないかな?と思います。

