
自分の人生を芸術として考えたならば、人生の経験そのものは芸術素材になることは間違いありません。
しかしそのまま描いておしまいでは、むしろ動画保存に勝ることはできません。
一番肝心なところは、その人生経験から、自分がどの様な変革を成し遂げ、そしてどの様な哲学に至ったのか。
せっかくそれだけの一大事に出くわしたのですから「大変だった」「辛かった」「死ぬかと思った」の感想文で終わっては勿体ないと思うんですけどね。
そこで死ななかった事を利用するようなくらいでないと。
私も人の事言えないくらい、考えは浅い人間ですが、人生の一大事なら自ずと考えは深くなるものでしょ?
私は昔、とっても優柔不断で、物事の決断はいつも曖昧、その場しのぎで生きているような人間でした。
そんな時に出逢った一人の30歳以上も年上の方。
その方から、自分が自分に向き合わない姿勢を厳しく指摘されました。
全ては自分の中の問題。
仕事ができないのも、やりたい事ができないのも、お金が無い事も、人生そのものも「全て自分の物事に向き合う姿勢の中途半端さだ」と。
それが義務教育を過ぎたころには不思議と社会のせい、誰かのせい、親のせいにするのだと。
そこに引っ張られて、結局自分の出来なさ加減に言い訳を作る。
そんな馬鹿な大人になっていることに、こっぴどく修正をかけられました。
どうだからできないのではなくて、常にどうだったらできるのか。
そこしかないんですよね。