当院の整体は根本的な自然哲学に基づいて行われています。これらを参考書の様に列記することは可能ですが、現代社会も日々高速に変化をしています。その様な中、日常生活にどの様に活用するかは、読み手側の皆さま次第であって、決して私から押し付けるものであってはならないという考えです。多くの方々に、私の「健康観」「自然観」をご活用頂ければ幸いです。
人間という狭い枠で考えると、どうも窮屈で小さな視野でしか物事が見えなくなってしまうものです。根本的に視野や思考は枠のない無限なものであるにも関わらず、勝手に枠を作り上げるのが人間です。ある意味、これらの枠は自分そのものが作り上げた塀でもあり、かつて「馬鹿の壁」という書籍を執筆された方がおられましたが、これも日常に飼いならされる事によって起こる、人間の思考習性なのかも知れません。
そして、思考のみならず、現実の科学でさへも、事実と思考の矛盾によって壁が生成されているものなのだと私は考えます。目で見る色は「黒」でも、見え方まで黒である理由は絶対的にないのです。根本的に、色の感じ方は、2歳以降の学習された社会的脳によって、共有する常識的精神から形成された「枠のある決めごと」であるわけです。
では、何色に見えるのか?というご質問を即座に頂きますが、自分の見たままの色が正解です。色の呼び方をしなければ良い。それこそ科学でいえば色など単なる「光の反射」であって、その波長をどう感じたのかということでしかない。この感じ方がいつの間にか強制されているのが人間社会。
かつて、パブロ・ピカソが人生の終焉の手前になり「ようやく子供の時の様な絵を描けるようになった」という言葉を残しているように、そもそも色や形、感じ方には枠など存在しません。この様に、人間は自分でも気付かない内に社会に飼いならされ、「常識」であったり「感じ方の表現」が、共通的言語によって表現出来る様に、自由と引き換えに「協調性」を強制的に獲得させられいます。これが、自己表現や感性を束縛するものであることは、大人になって、自分という存在と向き合い始めて、自分という人間を「成長させよう」とか「変わろう」と思った時から気付くことになります。
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