もはや肉体としてのズレではない(まだまだ編集中)

 最初から結論から述べておきます。以下、著者である私の予測の範囲を含みます。その上で、最初に結論を記しておきます。脳の中心部分にある脈絡叢の働きとそこから生産させる脳脊髄液こそが、我々の精神機能の活動値を決めるのです。背骨や骨格のズレについて」「本当は骨格のズレではない」のところで散々背骨や骨格のズレのメカニズムを説明してきました。しかし、実際のところ、人間は何故背骨をはじめとする骨格にズレを起こし、そして再び何故同じところにズレを起こしてしまうのか?という事象を追求して行くと、単に神経機能の問題であるという一言だけでは説明がつかなくなって行きます。ここでは、骨格の話から少し逸脱して行きますが、精神活動がどのように体に反映されるのかという、更なる深い部分の視野をご紹介して行きたいと思います。

 

  • まずは健康の定義から

 やはり大前提の定義から始めて行きたいと思います。この間、当院へお見えになられているアメリカ人女性から「日本人は心から体が壊れてゆくところに注意をしない」とのご指摘がありました。確かに、まだ世界的に見れば「精神=健康」との直結性は、日本の中ではまだまだかも知れません。ということで、各種説明の部分と重複しますが、まずは「健康」という言葉の意味からご説明して行こうと思います。

 日本的な健康観はさておき、世界保健機関(WHO)では健康について「「肉体的 Health」「精神的 Mental」「社会的 Social well-being」「霊的 Spiritual」に満たされた状態」と提唱及び議論がなされています。つまり、体が健康であっても、心が不安定で余裕がない、幸福感もない状態であっては「不健康」というわけです(精神的)。憲章前文にも以下のようなことが書かれています「人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。」と。 皆さんの中に、どこかで「肉体に病気がないから健康」と思っている価値観はありませんか?

 なぜこの様な、肉体以外のところにフォーカスが当てられているのかというと、単にそれらが肉体の健康を脅かす存在であるからです。つまり、肉体的な多くの病気の根源には、少なからず精神による影響が存在するわけです。免疫系一つをとっても、精神による負荷が免疫細胞の増殖を抑えることが分かっていますから、むしろ肉体的な疾患というものは表面的なものであって、その根源を探ればどこかで精神との繋がりがあるということです。

  • そもそも体とは何か

 興味深いことに、過去の歴史を遡り「からだ」という言語を調べてみたところ、室町時代以前までは「からだ」という言葉はありませんでした。から(殻)に接尾語「だ」が付くことによって出来上がった言葉です(セミの抜け殻など)。今とは違って、魂を宿していない身体、または生命のこもらない身の外形部分を指しており、「亡骸」という言葉があるように、単なる「物」としての呼び方が強かったのです。「1603年に日本においてイエズス会宣教師が使っていた日本語辞書「日葡辞書」に「からだ」の意味を、死体、むくろ、しかばね、と解説しているが、時には生きた体の意にも用いる(言語由来辞典より)」とあり、この頃には、体と魂を区別していたと考えられます。いずれ、この方向性で頭から手足の先まで全てを「からだ」と呼ぶ風潮が現代までのあらすじと推測されます。

 この「からだ」と「魂及び精神」を別々の存在としてとらえられるようになったのは、歴史を調べると、近代西洋医学の発展と重なる部分があります。医学というもは、紀元前4500年頃から文明を辿ってみると、大きな変革があったのは古代ギリシャ時代。この頃には、数学のピタゴラス、天文学のメトン、哲学のプラトン、アリストテレスなど、様々な学問の基礎が出来上がって来ました。そのため、全ての人が同じ共通の見解が得られるところに価値観を見出し、医学の分野では解剖学が学問的に発展しました。古代ギリシャ文明以前はどうだったのか?というと、神官が外科治療のようなことを行っていたことから、宗教の中に組み込まれていた時代が長く、例えば古代エジプト文明では、ミイラを作る過程で、内臓と脳を取りだす処置(乾燥が遅い部分で腐敗するために別で乾燥させていた)を、文化的儀式のなかで行っていた等、今の外科的の行いとよく似ている部分があります。

 古代ギリシャ時代といえば、医学の神と称される「ヒポクラテス(紀元前460年頃)」が有名です。当時の医療は、医学の守護神「アスクレピオス」の石像がある神殿「アスクレぺイオン」が治療施設となっていて、病気になった人が巡礼者として集まって治療を受けていました(夢の内容を神官に伝えて治療の処方を行っていた)。実のところ、この守護神アスクレピオスの子孫こそがヒポクラテスなのです。つまり、近代西洋医学の発展はここから始まったとされるように、より学問的に医学を形作りました。中でも、紀元前400年代に、ヘルフィロス、エラシストラトスの解剖実験は象徴的です。エラシストラトスは「生命精気は肺から心臓へ運ばれ、脳で処理されて霊魂的なものになる。」と述べていました。また、もう一人のヘロフィロスは、生きた人体の解剖から脳の中心部分にある「脈絡叢」を発見します。この部分の生きた生命活動がある血流や動きに興味を持ち、様々な脈の研究を行います。

  • 魂と精神の本質とは何か

 私は歴史が苦手で、特に古代ギリシャ時代なんていうのはアレルギー反応が出るくらいに苦手です。しかし、上記で紀元前まで遡った理由は何故かというと、医学というものは、この時代から科学的な見解が優位になり、誰しもが理解でき、誰とでも共有が出来るものへとシフトしてきました。一方でその結果、現代でこれだけ科学が発展したものの、いまだに共有できていないものは「精神≒心」です。歴史的に「からだ」という言葉にあるように、昔は肉体と精神と魂というものは、一体として生きた人間の体の中に存在するものだという考えでした。ところが、古代ギリシャ時代から、経験的で曖昧な側面よりも、目に見える共通認識を重要視するようになります。つまり、肉体的な研究=医学として切り離してしまったわけです。これを欠点というには拙速です。個別で専門色を強めることで、現代のようなめざましい医療の発展を成し遂げたわけですから。しかし、切り離す前は、常に経験から蓄積したのもの沢山あったと思われます。特に精神領域における人間の特性。それらを知るためには、当時、肉体と精神を切り離される前に共存していた「宗教」にその痕跡が残っているのではないか?というのが私の仮説です。例えば瞑想。これは昨今、ビジネス界でも多用されるようになった「マインドフルネス」によって、科学的効果が立証されてきました。

  • 脳のそれぞれ

 人間の脳は、進化の過程で大きく分けて3つに分類されます。一つは脳の一番外側を覆う、発生学的に一番新しいとされる「大脳新皮質」です。他の哺乳類でも見られますが、人間での発達はめざましく、大脳の約9割を占めています。ここでは言語の発達や、理論的な思考、創造性を可能にした脳です。そして大脳新皮質の内側にあるのが大脳辺縁系と呼ばれる脳です。ここは、感情や本能を司る部分で、大脳新皮質が人間よりも発達していない動物にもある部分です。ゆえに、犬や猫が喜んだり怒ったりと、人間と感情的に心が通わせられるのは、この脳があるお陰でもあります。そして脳の最深部(一番古い)にある脳が脳幹です。ここでは、生命維持のために、胎児の時から休まずに自動的に働いてくれている場所です。例えば、内臓の働きや血圧調整、呼吸運動や瞬き咀嚼、反射といった、考えなくても生命維持のためにオート機能で活動してくれている場所です。

 私が着目しているのは、この大脳辺縁系から脳幹の内部に存在する「脳室」と「脈絡叢」です。この部分は、体の他の部分とは違って、血管から直接の栄養供給がなく、代謝物の排出もできません。では、何がこの血管の代わりにこれらの運搬作業を担っているのかというと「脳脊髄液(cerebrospinal fluid)」です。脳脊髄液は無色透明で、主にこの脈絡叢から染み出すことで脳室内に貯留され、脳の外周部分と脊髄を浮かすように満たしているわけです。脳脊髄液は脈絡叢内部で血管から「血液脳関門(blood-cerebrospinal fluid barrier)」を通過して脳内に滲み出ますが(実際には血液と直接接触しない生成のしかた)、昨今の研究では、この脈絡叢部分の細胞膜表面にあるACE2(酵素の突起)に、新型コロナウィルスが特異的に感染することが分かってきました。このため、本来は血液脳関門のフィルターで通れなかったバリアが破壊され、毒物(脳にとっての)や異物が脳脊髄液へ混じり込み、大脳辺縁系および脳幹付近に炎症を起こしてしまうため、その結果「もやもや」「だるい」「頭痛」「無関心」「記憶障害」「自律神経障害」「精神疾患」が起こってしまうという現象が報告されています。下の図は、脈絡叢(側脳室と第四脳室にある)から滲み出た液体が脳脊髄液として脳内を循環するところを説明したものです。イギリスの報告ですが、新型コロナウィルスの後遺症で「記憶障害」がある方の脳内に、炎症が起こっているところを画像で観察されています。そして、この炎症部位は脈絡叢のすぐ近くで髄液が直接触れるところです。

 

  • 物体ではなく液体が主役

 私が着目しているのは、この大脳辺縁系から脳幹の内部に存在する「脳室」と「脈絡叢」です。この部分は、体の他の部分とは違って、血管から直接の栄養供給がなく、また代謝物の排出もできません。では、何がこの血管の代わりにこれらの運搬作業を担っているのかというと「脳脊髄液(cerebrospinal fluid)」です。脳脊髄液は無色透明で、主にこの脈絡叢から染み出すことで脳室内に貯留され、脳の外周部分と脊髄を浮かすように満たしているわけです(脈絡叢を切除すると脳室の拡張が見られないという犬の実験)。脳脊髄液は脈絡叢内部で血管から「血液脳関門(blood-cerebrospinal fluid barrier)」を通過して脳内に滲み出ますが、実際には血液と直接接触しない特殊な生成のしかたをします。昨今の研究では、この脈絡叢部分の細胞膜表面にあるACE2(酵素の突起)に、新型コロナウィルスが特異的に感染することが分かってきました。このため、本来は血液脳関門部分のフィルターで通れなかったバリアが新型コロナウィルスで破壊され、毒物(脳にとっての)や異物が脳脊髄液へ混じり込み、大脳辺縁系および脳幹付近に炎症を起こしてしまうため、その結果「もやもや」「だるい」「頭痛」「無関心」「記憶障害」「自律神経障害」「精神疾患」が起こってしまうという現象が報告されています。

 下の図は、脈絡叢(側脳室と第四脳室にある)から滲み出た液体が脳脊髄液として脳内を循環するところを説明したものです。イギリスの報告ですが、新型コロナウィルスの後遺症で「記憶障害」がある方の脳内に、炎症が起こっているところを画像で観察されています。そして、この炎症部位は脈絡叢のすぐ近くで髄液が直接触れるところです。

 

 他にも、近年耳にするようになりましたが、交通事故のむち打ちなどで、脳脊髄液の容器である脊髄硬膜に小さな穴が開き、脳脊髄液がここから漏れ出して髄液が減少する「脳脊髄液減少症」についても触れておきます。この現象については、兼ねてから熱海病院の篠永医師が発見者としてマスコミ等でも露出されておられました。筆者も2006年の時に、篠永先生の脳脊髄液減少症についての発表を筆者は直接聞く機会がありましたが、発見当初は医学的には硬膜に穴が開いて漏れるなど常識的にあり得ないとされ、脳外科の学会でも発表させて貰えなかったと仰っていた。当時の篠永先生の資料を引っ張り出してみると、脳脊髄液減少症の症状について、以下のように書かれている。

1、痛み

 頭痛、頭重、頸部痛、背部痛、頭痛、座骨神経痛など

2、脳神経症状

 めまい、聴力異常、耳鳴り、耳閉感、光過敏、視力低下、視野異常、複視、咽頭違和感、顔面知覚異常、顎関節症、味覚障害、無表情など

3、自律神経症状

 動悸、血圧異常、体温調節障害、胃腸障害など

4、高次脳機能障害

 記銘力低下、思考力低下、集中力低下、うつなど

5、その他

 強度の倦怠、免疫異常、内分泌障害など

 

 当時の記憶では、酷いうつ症状や摂食障害の例をご紹介されていました。当時は、硬膜に穴が開いて髄液が漏れて、精神疾患に関係性があるなんて、頭のおかしい医者だと同業者にも見られていたと仰っていました。オフレコでしょうが、周囲からかなり露骨な圧力が掛かって大変だったとか。が、今や頭痛学会のガイドラインの3徴候に「脳脊髄液圧低下による頭痛」が記載され、重要視されるようになっています。感の良い方はお気づきになられたかも知れませんが、上記の症状を見ると、先に述べた、新型コロナウィルスが脈絡叢に感染し、血液脳関門が壊れてしまった症状に極めて似ている部分があるのです。

 

 これらのことからも、脳脊髄液と精神の活動状態には、大きな関係性がありそうです。つまり、脳脊髄液が常に一定のクリアランスを保ち、常に豊富な循環状態にあれば、

  • 更なる重要性

 一般社会には聞こえてきませんが、実のところ医学界では、近年は脳脊髄液について相当な盛り上がりになっています。中でも、国立研究開発法人理化学研究所脳神経科学研究センター(長すぎるので通称:理研脳科学)の今村聖路氏、内匠透氏の調べで明らかになったことは、概日リズム(サーカディアンリズム)といういわゆる体内時計についての新発見です。これまでの通説では、体内時計は視交叉上核という場所が中枢となって刻んでいるとされていましたが、「脈絡叢」の上皮細胞の方が明らかに正確なサイクルを刻んでいるという研究結果です。

 概日リズムは地球の自転周期と太陽との関係性において、人間の生活リズムを合わせるためにあるものですが、脈絡叢の正確なサイクルが乱れがたり、脳脊髄液の循環が何かしらの形で妨げられることによって、脳内の浄化率が下がり、初期症状として睡眠障害を発症してしまうわけです。また理研お論文にもあるように、うつや精神疾患の初期症状として睡眠障害を訴える方がとても多く、脳脊髄液、並びに脈絡叢の機能状態と比例している可能性を指摘しています。つまり、ここでも脳脊髄液と精神との関連性が見られるわけです。